刺繡作品

再生の時 no rain no rainbow  F8号

初期作品

大学卒業後、アルバイトしながら楽しいだけで作っていたころ

アーティストになりたい。有名な作家になりたいという夢はあったけど自信がなかったですねww

美大を出たのに何で刺繡してるのかって自分で呪いをかけていたので発表することなでなかなかできなかった。

たまたまかやっていた洋裁教室にいたパッチワークの先生に刺繡作品を見せたら「モラ」というカリブ海の民族の伝統技法が合うといわれこのスタイルが生まれました。

中期作品

モラ技法を取り入れ作品も大きくなっていきました。

チェーンステッチで埋め尽くすやり方とモラで自分なりの世界観を作っていった時期です。

結婚子育てでだんだん作らなくなってしまいましたが、この頃出てきたキャラは天と繋がっていたようにも思います。

アートセラピーとして摂食障害と向き合い制作した作品

この作品のタイトルは「ゲロピー」

まさに自分のsぞ増しい姿を書き記したものです。

分かっていても自分を直視して認め、受け入れるのは並大抵の事ではありません。

これが仕上がった時

摂食障害の知り合いに真っ先のお知らせして喜びあいました。

価値の共有というんですかねwwww

それから、自分の心の中の感情をノートに書きだしイメージを描きだし

刺繡作品に起こしていきました。

今見たら、自分ではおぞましい気分になりますが

この時やったことが未来に向かうように舵の方向を取り換え

自分のいのちを紡ぐ意義が分かるようになったと思います。

意識の成長が刺繡制作により起こったわけです。

アートはセラピーだと確信しました。

次に進む再生への道のりの作品たち

刺繡によるアートセラピーは

自分の内面を掘り下げあまりにも見たくない醜い部分まで

直視せざる負えませんでした。

心のどろどろした部分ばかり見ていたので

もうこれでいっぱい、ダークな思いは心で思うだけで十分

作品として残すことはもうやめよう

そう誓った後

この赤ちゃんの女神様が生まれました。

やっとピンクいろの世界が描けるようになったことが

嬉しかったですねwww

内側の暗く湿った冷たくてねちゃねちゃした世界を

アートでお掃除後のアートはひたすら光だけで充分になりました。

世間ではアートは苦悩ということもありますが

私のアートの基本は喜びですね。

苦しみは乗り越えるもの、乗り越えたら喜びは必ずある。

この時期からはっきり認識し始めました!

 

 

現在に至り愛と感謝祈りに

喜びの表現を意識していった。東日本大震災が起こった

そのお時思ったことを作ったのがこの作品

「atomic boy」子供たちはいつも大人の都合で、良いも悪いもないが大人の都合がいいようにされてる。

西のほうに避難した人、東京を離れた人、結構いました。

なんで厄介なものが存在してたことを恨んだけど現実なんだし、この地で生きる選択したからには頑張るしかないなと。

 

震災後作品をほとんど作らなくなりました。

他に興味が移ったこと。

老眼が急に進んで事。

刺繡で癒されていた自分ではなくなったこと。

3年は休憩しましたが

またぼちぼち刺繡の制作も始めました。

 

今後は

お依頼があったものを中心の

今ある作品たちがお嫁入できるように発表の機会を

増やしていきます。お問い合わせオーダーお待ちしてます!


グッズ小さなワッペン